2019年1月13日日曜日

Gotham Central 感想 -レニー・モントーヤの転落とゴッサム市警-

※このシリーズの各巻感想は以下をご覧ください。

"Gotham Central"を読みました。日頃バットマンやバットファミリーの活躍の陰に隠れがちなゴッサム市警の活躍を描いた作品です。個性豊かな刑事たちが難事件に挑み、時にバットマンに先を越されながらゴッサムシティの治安を守っていきます。

……そして、このゴッサム市警の一刑事だったRenee Montoya(レニー・モントーヤ)の人生が暗転する話でもあります。レニーの物語はこの後、"52"(感想はこちら)に続いていきます。

【基本情報】
Writer: Greg Rucka, Ed Brubaker
Inker: Michael Lark, Brian Hurtt, Stefano Gaudiano, Greg Scott, Steve Lieber
Penciller: Michael Lark, Brian Hurtt, Greg Scott, Steve Lieber, Kano

発行年 2011年~2012年 (*BOOK版)

公式サイト (Book 1)はこちら。



この作品はBook 1~4までの4冊の単行本(TPB)にまとまっているのですが、まとめ買いしたつもりがBook 3を買い忘れたため現時点で読んでいるのはBook 1, 2, 4の3冊のみです。何はともあれレニーさんの人生の転落ぶりを読まねばならぬと思って買ったので、Book 3がなくてもまあいいかな……と思っていたのですが(レニー主役のエピソードはBook 1と4に収録)、Book 4のエピソードはBook 3のエピソードを踏まえているらしく、どこかでBook 3も読まないとと思っています。
(※Book3も読みました。感想はこちら。

筆者はレニーの話を読みたくて買ったのですが、ほかのエピソードも刑事ものとして面白いと思います。
バットマンがいる町で刑事をするというのは、いろいろと大変ですね。刑事は自分の追いかけていた犯人を逮捕するときに一番燃えると思いますが、バットマンが打ちのめした後に犯人逮捕といったことが続くとモチベーションを維持するのも大変でしょう。
実際には警察が被害者救出の八割方を成し遂げていたとしても、世間ではバットマンが被害者を救ったということになることもありますし、バットマンをよく思っていない警官がいるのも頷けます。

レニー以外にもたくさんの警察関係者が出てくるのですが、筆者が好きなのはCaptain Maggie Sawyer (マギー・ソイヤー警部)と、受付やコンピューター作業の手伝いをしているStacyですね。

マギー・ソイヤーはゴッサム市警の刑事たちを束ね、時に事件の陣頭指揮をとり、時にマスコミ対応をし……という苦労人です。日本でいうと捜査一課長のポジションなのでしょうか。事件解決のため時間に追われながら、一筋縄ではいかない刑事たちや押し寄せるマスコミ陣の相手をしている姿を見ると「誰か変わってあげられないの?」という気持ちになります。たまには子供と一緒に家庭でゆっくりしていてほしいです。

ステイシーはゴッサム市警の正規職員ではありません。が、それだからこそできることがある――という描写が面白かったです。バットマンを呼ぶためのバットシグナルの点灯は、彼女にしかできません。なぜならばゴッサム市警はバットマンの存在を公式には認めていないので、正規職員がバットシグナルを動かすわけにはいかないから。でもステーシーなら正規職員ではないので構わない。
という屁理屈めいた、でも官僚組織はどの国でもそんなものかもと思わせる描写が楽しかったです。刑事ではないからこそ、逆に刑事たちの様々な言動を見て妄想をたくましくしていることもあり、好感が持てます。

警察ものが好きな人にはお勧めの作品です。

以下、レニーのエピソードに関してネタバレを含む感想です。かなりネタバレしています。

***ここからネタバレ***

これはひどい。
と思ってしまうくらい、レニーにきついエピソードでした。この作品の後に"52"が連載されていますから、"52"でレニーを動かすためにはレニーには刑事をやめてもらわなければならない、さらに絶望のどん底にいなければならない、そのためには……ということだったのかなと思うんですけど、それにしても。
レニーの人生が暗転することになったエピソードは大きく2つ、Two-face事件とCorrigan事件です。
・Two-face事件: レニーにほれ込んだTwo-faceが、「すべてを失えばレニーは自分のもとに来るだろう」と考え、レニーの性的指向(レズビアン)を暴露、さらに殺人事件の犯人に仕立て、さらに留置場からの移動時にレニーが逃走したかのように装って自分のもとにレニーを連れてくる話。バットマンとゴッサム市警の手により真相が明らかになるが、性的指向の暴露が元でレニーは親から縁を切られる。

・Corrigan事件: レニーの長年のパートナー、Crispus Allenが殺される話。レニーは犯人がコリガンであると確信していたが、コリガンはあちこちに金をばらまいて自分に都合の良い証言をさせていたので犯人と証明することはできなかった。レニーはコリガンを殺そうとしたが引き金を引くことができず、失意のうちに警察をやめる。
まずTwo-face事件ですが、性的指向の暴露で家庭はともかく職場でも陰口を言われていたのが意外でした。アメリカでもこの作品が連載されていた2005年頃はまだそんな感じだったのでしょうか。
2019年のアメリカ、特に警察という大きな組織で性的少数者にどうこう言うことは(少なくとも大っぴらには)ないのだろうと思いますが。
ただ、社会でどれだけ性的少数者への理解が進んだとしても、各家庭の家族に理解があるかというとそれは場合によるとしか言いようがないだろうと思います。それは現在であっても、アメリカであっても。
ともかくこの事件でレニーは両親を実質的に失います。
Two-face事件の真相が明らかになると、彼女の仕事上の地位は回復されました。その後もレニーは前と同じように仕事を続けているように見えましたが、実際には彼女の心が壊れていっているとパートナーのアレンは感じていました。
警察勤務ということで、暴力とはどうしても縁が切れないことがレニーの崩壊の原因だったような気がします。少し休ませて病院なりカウンセリングに行かせるという選択もあったのかもしれないと思うのですが……。
その後このパートナーが殺されるに至って、レニーは完全に崩壊します。酒びたりになり、恋人のDariaのことも避け、それでも犯人のコリガンを逮捕することだけに執念を燃やしていましたが、結局逮捕はできないという状態に至って自分で殺そうと決意しますが、コリガンに銃口を向けたものの引き金を引くことができず警察をやめるという展開になります。
レニーが警察をやめたのはなぜなのか、おそらく自分がここにいる意味はもうないと思ったからだと思います。パートナーがコリガンに接触したのは恐らく自分のせいであろうというのは感じていたでしょう。パートナーの遺児とこんな会話をしているシーンがあります。

 "MY DAD'S NEVER COMING HOME, RENEE. HE'S NEVER COMING HOME."
"I KNOW."
"I KEEP ASKING MYSELF THE SAME THING, RENEE. AND I HATE MYSELF FOR ASKING IT ANYWAY, I CAN'T HELP IT. WHY WASN'T YOU?"


「お父さんは二度と帰ってこないんだよ、レニー。もう二度と」
「分かってる」
「僕はずっと同じこと考えてるんだ、レニー。こんなこと考えるの嫌なんだけど、止められないんだ。どうして殺されたのはあなたじゃなかったの?」

これは辛い。では逮捕できるかというと、それもできない。最後の手段で殺そうとしても、レニーの倫理観ではそれもできない(おそらく、レニーは無抵抗な人を殺せない人です)。何もできない無力感に押しつぶされて閉じこもってしまい、ただただ酒に頼ったのだろうと思います。
"52"でレニーがある意味救済されるとわかっていなかったら、この一連の話は本当にきついと思います。連載時に読んでいたファンは気持ちの整理が大変だったでしょうね。
……余談ですがこの作品を読んだ後"Convergence: The Question"(感想はこちら)を読むと、レニーが菩薩か何かに思えます。時間も経ちQuestionとの出会いもあり、いろいろ考えが変わったのでしょうか。
レニー・モントーヤのファンには必読の作品だと思いますが、覚悟を持って読む必要がある作品だと思います。