2020年9月21日月曜日

Heroes in Crisis 感想

  ヒーローたちの傷をテーマにした作品、Heroes in Crisisを読みました。原書の単行本が出てから割とすぐに邦訳もされた話題作です。

 

【基本情報】
Written by: Tom King
Art by: Lee Weeks, Travis Moore, Clay Mann, Jorge Fornes, Mitch Gerads
Cover by: Clay Mann
発行年 2019年

公式サイトはこちら。



 華々しく活躍するヒーローたち。しかし彼らは、戦いの現場で、様々な状況で、心に傷を負っている。ヒーローたちが人知れず心の傷を治療できるよう、スーパーマン、バットマン、ワンダーウーマンの三人は「サンクチュアリ」と呼ばれる施設を開設した。心に傷を負ったヒーローたちは、ここに入院して回復できるはずだった。しかし、サンクチュアリで凄惨な殺人事件が起きる。容疑者はHarley Quinn (ハーレイ・クィン)とBooster Gold (ブースターゴールド)。そして、時を同じくしてデイリープラネット紙のレポーター、Lois Lane (ロイス・レーン)のもとにはカウンセリングの際にヒーローたちが話す様子を撮影した動画が次々と届くようになる。果たして事件の真相は――というのがあらすじです。

 

 コミックを読むとテーマ性ははっきりしています。心に傷を負う=弱者というわけではない、ということです。デイリープラネット紙に次々に追い立てられるカウンセリング動画に急き立てられる形でスーパーマンはサンクチュアリの存在を全世界に公開し、ヒーローたちの傷について訴えます。この演説がこの作品で言いたいテーマを言いつくしています。

 こうした「キャラクターの一人が作品のテーマを代弁する」という形式はテーマが分かりやすい分、押しつけがましく感じられたり「なんか突然演説を始めたぞ!?」という不自然さが出てしまったりすることがあります。

 しかしこの作品が巧みなのはエンターテインメントという衣に見事に包み切って、読者にハラハラさせながらテーマ部分も一気に読み切らせてしまうところだと思います。スーパーマンが演説をする、というのも上に書いたような事情なので不自然には感じませんし。

 テーマを分かりやすく表現し、しかも謎解きを絡めることで読者にワクワク感を与え続けページをめくる手を止めさせない――という点で大変優れた作品だと思います。

 

 テーマとも関係することですが、Batgirl (バットガール、バーバラ・ゴードン)が容疑者になったハーレイ・クィンを助けるのも良いなと思いました。

 二人ともJoker (ジョーカー)に傷つけられた過去を持っていますが、被害者である=弱者である、というわけではないということを力強く表現していると思います。ジョーカーの被害を受けた後のバーバラ・ゴードンの立ち直り方についてはThe Batman Chronicles #5 (感想はこちら)にも書かれています。こちらもおすすめです。

 欲を言えば、バーバラはNew52期以降Poison Ivy (ポイズン・アイビー)との友情も着々と積み重ねていましたのでそれについてもちらっと触れてほしかったです。とはいえ、そうやっていくと物語の焦点がぼやけていたかもしれません。

 

 

 さて。

 このストーリーは「犯人は誰なのか?」というミステリーですので、犯人の名前を書くのはネタバレになります。以下、犯人に触れつつ、この作品を読んでいて感じた疑問について書きますのでネタバレが苦手な方はご注意を。

 

 

 

 ***ここからネタバレ***

 

 ここからは、既にコミックを読んだ方を前提として感想を書きます。

 

 

 

 スーパーマンとバットマン、ワンダーウーマンの肝いりの施設の割にはサンクチュアリのシステムは雑ではないでしょうか。

 ヒーローたちの誰がサンクチュアリを受診したか、匿名にするためにセキュリティを厳重にしなければならないという事情は分かるにしても。

 

 まず、ヒーローたちのカウンセラーはロボットなのですよね。クリプトン星の科学技術に、バットマンの意思とワンダーウーマンの思いやりとスーパーマンの信義を加えている――と。

 ワンダーウーマンの思いやりはともかく、バットマンの意思とスーパーマンの信義はカウンセラーロボットに必要でしょうか。それよりはハーレイ・クィンの精神科医としての知識を加えておいた方がまだ良かったのでは。

 

 というのも。

 コミックの中で、ヒーローたちがカウンセリングを受けているらしい動画は様々な形で提示されるのですが、カウンセラーロボット側の言葉は出てこないのですよね。もしかしてロボットは適当なタイミングで頷いているだけなのではないかという疑念がぬぐえません。

 ブースターゴールドや、犯人であるウォリー・ウェストの回想シーンでロボットの受け答えが出てはきますが、どちらかというと彼らを更に追いこんでいるように見えます。

 

 また、セキュリティのためにヒーローたちがロボットに話した内容は全部即座に消去されるのだそうです。カルテが存在しない状況で果たして継続的なカウンセリングは可能なものでしょうか。

 サンクチュアリの中にある宿泊施設に何週間も滞在している間、患者たちは何度もカウンセラーロボットに話しに行っているようです。しかし毎回データが消去されるのだとすると、結局は毎回初めての相手に話をしているのと同じですよね。前回話していたことからさらに掘り下げて……といったスタイルにはなりません。

 ウォリー・ウェストが何度も同じ質問をしても、カウンセラーロボットからは同じ答えが返ってきたようなのですが、毎回情報が消去されているのだとすれば同じ質問に同じ答えが返ってくるのも当然と言えます。

 もし人間のカウンセラーだったら、何度も質問をするということ自体を何らかの危機の兆候と察知することができたのではないかな――と思えてなりません。

 

 さらに、滞在している患者同士でもお互いの正体を知られないため、共有部分に出入りするときはサンクチュアリから配られる仮面をつけローブをかぶっている人が多かったようです。正体を隠すためにそうした格好をしているとなると、共有部分でばったり出会ったとしても親しく言葉を交わすことはなかったでしょうね。

 

 ウォリー・ウエストは数週間を過ごしていたようですが、その間の彼の生活を想像してみましょう。

 基本的には自分の部屋に一人ででいます。たまに庭にも出ていたかもしれません。共有部分に出ていけば人の姿を見ることもありますが、皆同じような白いローブを羽織り同じようなマスクをしています。言葉を交わすことはほとんどありません。

 ウォリーが唯一言葉を交わせる相手はカウンセラーロボットです。しかし、カウンセラーロボットは会話の後その記憶をすべて消去してしまうので毎回初めての相手と話している状態になります。同じことを聞けば、同じ答えが返ってきます。

 

 

 ……たとえ精神的な不調を抱えていない人でも、サンクチュアリで生活していたら精神的に追い詰められてしまうのではないでしょうか。

 サンクチュアリに入る前のウォリーは、「希望」と皆に持ち上げられながらも実際は愛する家族を失ってしまったという状況でした。そのことで参っていたのは事実でしょう。

 しかし、心を癒すために入ったはずのサンクチュアリが却ってウォリーを追い詰めたのではないでしょうか。

 

 サンクチュアリはセキュリティの面、誰が受診したかを秘密にするという面では優れたシステムかもしれません。しかし肝心の心の傷を癒すという面では全く有効に機能していないシステムになってしまっているように思います。

 スーパーマンたちが「ヒーローたちの心の傷を癒さなければ」と思ったのは良いとして、できたシステムがなぜこうもバランスの悪いものなのか。

 誰か人間のカウンセラーを巻き込んで、「絶対に秘密を守ってもらう」という条件でヒーローたちを診てもらった方がまだましだったのではないでしょうか。


 悪意で考えれば、スーパーマンたちは口では「心の傷を癒さなければ」と言いつつ、実際にはサンクチュアリで受診するときの状況をまったく想像できていなかった――ということになってしまいます。だとすると、スーパーマンの感動的な演説もだいぶ薄っぺらいものになってしまわないでしょうか。

  

 

 上にも書きましたが、この作品はエンターテインメントとして大変優れています。いくつもの謎がぱたぱたと解決されていく様は快感です。ですから一読した後「面白かった!」という感想になります。

 しかし「面白かった」という感嘆の波が過ぎた後、サンクチュアリについて改めて考えてみるといくつも疑問点が浮かびます。感動的なスーパーマンの演説でさえも、「果たしてスーパーマンは心の傷について何をどこまで考えていたのだろうか」という疑問にさらされます。

  

 そしてこの疑問は、「果たしてこのテーマを扱うのにこのストーリーで良かったのだろうか?」という疑問にもつながります。

 結局のところ、サンクチュアリという設定は「ヒーローの誰かが大量殺人を犯した」という刺激的なストーリーにするために必要になっているわけです。

 そこまで大掛かりな舞台装置をつくらずとも、辛さを誰にも理解してもらえないウォリーが一人もがき苦しんでその末に事件が起き……といったストーリーにする方が素直にテーマに沿った作品になったのではないでしょうか。

 

 この作品、読んでいて面白いストーリーであるのは間違いありません。しかしテーマが分かりやすいだけに読み終えた後あれこれ考えてしまって「何かおかしくない?」となるという、ちょっと変わった作品でした。