2023年1月1日日曜日

Wonder Woman by George Perez Vol. 5 感想 -天国から地獄へ-

 ※このシリーズの各巻感想はこちらをご覧ください。

 Wonder Woman by George Perez Vol. 5を読みました。このシリーズの単行本はVol. 6まで出版されているのですが、Vol. 6を買って見てみたところWonder Woman: War of the Gods (感想はこちら)とほぼ同じ内容のようでした。

 つまりこの巻は神々と人間、当時コミックに登場していた多くのヒーローたちを巻き込む大乱闘War of the Godsに至るまでの背景を整える巻であり、同時にVol. 1から続いてきた「アマゾン族の理想を広める」というダイアナの使命に一つの結論が出る巻でもありました。

 

【基本情報】
Writers: George Perez, Mindy Newell, Len Wein
Artists: Colleen Doran, Cynthia Martin, Joe Philipps, Romeo Tanghal, Kein Nowlan
Colorists: Tom Ziuko, Cark\l Gafford, Juliana Ferriter, Nansi Hoolahan
Letterer: John Costanza
Cover Art: George Perez
発行年 2020年



公式サイトはこちら。

WONDER WOMAN BY GEORGE PEREZ VOL. 5



収録されているエピソードは、

  • 魔女Circeの暗躍をうかがわせる事件について調査し、Donna Troy (ドナ・トロイ、この頃のヒーロー名はTroia)と初めて出会い共闘する
  • ヒッポリタ女王を中心とするアマゾン族たちが人間界を訪れ、長らく交流の途絶えていた人間とアマゾン族との交流がついに復活するという流れになる
  • しかし、アマゾン族による殺人を思わせる事件が米国各地で続く。さらにはダイアナと親しい友人たちの人間関係もなぜか次々と壊れ、ついにはダイアナが警察から指名手配される事件に至る


という3つに大きく分けられます。まず最初のドナとの共闘ですが、ここまでドナに会っていないのが意外でした。このWonder Woman誌では確かに会っていないのですが、Teen Titans誌やJustice League of Americaあたりで会っているんだろうと思っていたので。

 この頃のドナは、キャラクター紹介に書いた第二のオリジン (Titansに育てられた子)になっているので、ダイアナやアマゾン族とは直接の関係がありません。が、読者の認識としてはドナ = ワンダーウーマンの妹分 なので、この作中では「良く分からないけど姉妹みたいにそっくりだし他人とは思えない」みたいな感じになっています。長年のコミックで入り乱れた設定と、読者の思い入れを両立させるとこんな感じになるのかもしれません。

 ドナは War of the Godsでも活躍しますし、ここでダイアナと対面しておかなければいけなかったのでしょうね。

 そして事態は、これまでのダイアナの努力が実を結んでヒッポリタ女王が人間界に入り、アマゾン族と人間が再び親交を結ぶ――という展開になります。

 このシリーズのVol. 1で描かれた、「ヘラクレスとその部下たちに蹂躙されたアマゾン族たちは人間界に門戸を閉ざし、セミッシラ島へと引きこもったのだった」というエピソードがここでついに「ダイアナの働きにより、アマゾン族が再び人間たちと交わるようになる」というエピソードへと繋がって行くのですね。おそらくVol. 1のヘラクレスのエピソードを描いた段階で、最終的にこうした形になることは構想されていたのだと思いますが、きちんとここまでたどり着いてくれたGeorge Perezに感謝です。

 象徴的に取り扱われているのが腕輪の存在です。

 ダイアナの腕輪は銃弾を防ぐための防具という意味合いがありますが、他のアマゾン族たちにとっては「ヘラクレスの軍に蹂躙され拘束されたことを忘れないための戒め」です。人間界に来るとき、ヒッポリタ女王たちはその腕輪を外し、再び人間を信頼することを明確にするのです。

 

 が、その後アマゾン族らしきものたちによる殺人事件が各地で起き、色々あってダイアナもまた警察に殺人を疑われる状況になります。途中までは警察に協力するダイアナですが、手錠をかけられるかもという状況になってとうとう協力をやめるダイアナ。

 アマゾン族にとって「鎖でつながれる」ことの意味の大きさを感じるシーンですが、別にアマゾン族に限らずとも「相手の自由を奪おうとしている時点で敵である」ことを描いているシーンのようにも感じました。

 

 

 もう一つ――これは筆者が意識しすぎなのかもしれませんが、印象的に使われている小道具がありました。まずは「ヒッポリタ女王が人間界に来ることになって世界中が喜んでいる」と報道されているシーンを描いたこちらのコマをご覧ください。

 


 

 日本の週刊誌か何かをイメージしているのでしょうか、「この頃はベルばらが流行っていたんだな」などとのんきに読んでいたのですが。

 

 

 その後、数話あってアマゾン族らしき者による殺人を伝える報道を描いたコマがこちら。

 


 

 書いてある文を一部引用すると、

 "SOME ARE ALREADY COMPARING THIS ACTION TO THAT OF HIROHITO'S JAPAN PRIOR TO PEARL HARBOR."

 「すでにこの行為を、真珠湾以前のヒロヒト統治下の日本の行為と比べている声もあります」

 

 考えすぎかもしれませんが、ここを読んだ時先ほどのベルばらのコマがこのシーンの前振りのように感じられたのですよね。「今はアメリカと友好的な日本だが、かつてはアメリカに大打撃を与えるような敵国だった。友好国か敵国かは状況によって変わる。同じように、アマゾン族もアメリカと友好的に見えていたとしてもアメリカに敵対的な存在になり得る」ということを描いているように感じました。

 とはいえこれ、本当に考えすぎかもしれません。アメコミの中に日本を描いた場面が出てくると、ついつい注目してしまうので作品の中での意味を冷静にはかれないなあということを感じた一冊でもありました。